田川市:大浦池

徳川四代将軍家綱の時代、弓削田の人々は続く干ばつに悩み、長い年月をかけて大きな溜池を掘りました。しかしこの池にはいくら雨が降っても1滴の水さえたまらなかったそうです。
これを龍神様のたたりだと考えた人々は、人柱を立てると決めたものの、自ら名乗りを上げる者はいませんでした。そんな中、庄屋の養女であるお浦が「長い間育ててもらった恩返しに」と手を上げました。 こうしてお浦が池に身を沈めた翌朝、この池にはあふれんばかりの水がたまっていました。
それ以来、人々はお浦への感謝を込めてこの池を「大浦池」と呼ぶようになったと言われています。
所在地:福岡県田川市奈良